「ソングス」−井上智
年月を重ねるにつれて、私のジャズ史のクラス(ニュースクール、1986-94;マンハッタン音楽院、1992−)に席を置いたミュージシャンの名も、数を重ねて行っている。そして彼らは現在、その名前を演奏家として確立しつつある。少し挙げてみると、ジョー・アシオン、ウォルター・ブランディング・ジュニア、ジェシー・ディビス、ラリー・ゴールディングズ、井上智、ライアン・カイザー、ヴァージニア・メイヒュー、ブラッド・メルドー達が並べられる。私が誰かに「〜は私の生徒の1人だったのさ。」と話す時、「彼が既に知っていた事を私は教えただけなんだけど。」とたまに付け加える。
もちろん私は彼らにジャズ史の意味を教えたし、彼らがそれまでに知らなかったミュージシャンを紹介した訳だが、実際の演奏は井上に指導したジム・ホールの様に、マスター・ミュージシャン達によって行われた。彼は1991年にニュースクールに入学したが、ここでジャズを初めて経験した訳ではなかった。1956年神戸生まれの彼は79年ー81年に京都の“藤ジャズスクール”で学んでおり、81年-89年の間、既に日本で自己のバンドでプロとして活動していた。88年にはスティーブ・スレイグルと日本ツアーを行い、90年にはジャック・マクダフとシカゴで一週間共演している。ニュースクールとニューヨークのジャズシーンが最後の学びの場となったという訳だ。
私は彼をニュースクールの課外授業で、聴いた経験がある。90年の初め、ジャーナリストのスチュアート・トループがハドソン通りの“サツェラック・ハウス”という素敵なレストランで、ニュースクールの生徒を出演させるプログラムを始めていた。そこである晩井上を聴いた時に、私はその自然に次々と出くるアイデアとその豊かなサウンドに、心を動かされた。
ソングスは一般のリスナーに快いだけではなく、批評家のリスナーにも快い。彼にこのライナーノートの為のインタビューする前に、私がこのテープを初めて聞いた時、スピーカーから多くの特質が文字通り飛び出してきた。先見の明あるジム・ホールも同じ事を感じていた。井上が私の家に訪ねて来た時に、このテープを聴いたジムのコメントを持って来ていた。ジムは「井上智は私の大好きなギタリストの内の一人だ。変化に富んで豊かな選曲は絶妙のバランスを保ち、ギターをハーモニカやヴォイスとブレンドさせるという素晴らしいオーケストレーションが実現した。曲と才能が信じられないほどうまく配列されている!その中でも特にカリプソ・エニィウェアが好きだ。」と述べている。
優れたサポート・メンバーはリーダーの井上の選出により、ベテランと新人による絶妙で完璧な組み合わせで成り立っている。まずベテランは、ベース奏者のルーファス・リードとドラマーのアキラ・タナである。彼らは長年組んでいるリズム・チームで、タナ・リードの双頭リーダーでもある。井上はタナとブルックリン植物園の桜祭り等で多く共演をしているが、このリズム・チームとの共演は1998年に東京で初めて実現した。井上はその時の事を「私はジュニア・マンスとのツアーで、彼らはケニー・バロンとのツアーで東京にいた。そこでお互い一晩空いていたので“ボディ・アンド・ソウル”クラブでギグをした。そしてその時、全てがうまくいった。」と説明してくれたが、ここでも同じ様にうまくいっている。
井上はスイス生まれのハーモニカ・プレイヤーでニュースクールの生徒であった、グレゴアー・マレットに1997年に出会った。マレットは井上がメンバーであったアーニー・ローレンス・バンドの“サイド・ウォーク・カフェ”のギグに飛び入りした。グレゴアーは現在ジャッキー・テラソンのバンドに属している。井上はテラソンのバンドでも彼を聞いて、インスパイアーされレコーディングを思いつき、「サックスは素晴らしい。けれど何か違う事をやってみたかった。」と言っていた。
もう一つのレセピーのスパイスとなっているのは、ボーカリストのマイルス・グリフィスである。私が彼に最初に印象付けられたのは、数年前彼がジミー・ヒースのビッグ・バンドで歌っていた時のことである。ウィントン・マルサリスの“ブラッド・オン・ザ・フィールド”への参加により、マイルスは広く世に知られる事になった。井上は先程述べたアーニー・ローレンス・バンドで、マイルスがクラブ“ディアナズ”で飛び入りした時に出会い、それ以来数々のギグで共演をしている。
「一枚目のCD(プレイズ・サトシ KICJ-285)はオリジナルが中心だったので、今回は“歌もの”をやってみようと思った。」と井上は話す。彼の歌への興味は日本での子供時代から始まっていた。彼の両親がハリー・ベラフォンテのレコードを持っており、そのレコードに入っていた“ハヴァ・ナギィラ”もジャマイカの歌だと思っていたそうだが、今では彼は世界中の音楽に詳しい。彼はブラジル人を初めとし、多くのシンガー達と仕事をしてきた。今回のレコーディングではイギリス、日本、ブラジル、カリブそしてアメリカの歌を取り上げている。「メロディーは国境を越えて旅をする。」と彼は言う。
イギリスの16世紀のフォーク・バラード、グリーン・スリーブスはコールマン・ホーキンスを初めとして現在まで、ジャズメン達を魅了してきた曲だ。井上はギター、ドラム、ベースの編成で編曲をしている。この演奏では彼の個性が、初めて“サツェラック・ハウス”で私の耳を捕らえたときと同様に繰り広げられており、“マイ・フェイバリット・シングス”やソニー・ロリンズの“ヴァルス・ホット”の引用でフレーズをまとめている。
リードは今回、色々な曲でしっかりした運指と共に思慮に富んだピッチカート・ソロを聴かせるが、インファント・アイズでは彼の弓で始めのメロディーが奏される。このウェイン・ショーターのABA形式の美しい曲はそれぞれ9小節の長さを持つ。ここでは井上はボサノヴァのビートを送り出している。そしてマレットが初登場し、井上と共にソロを取り最後のコーラスを締めくくる。
ペント・アップ・ハウスはソニー・ロリンズの作ったアップ・テンポの曲である。このイントロの即興部で井上とタナは協力し合って継ぎ目なくテーマにつないでいる。井上の流れる様なラインは活気に満ちており、またタナとのソロ交換は一つのハイライトである。「ペント・アップ・ハウスはビバップのラインだけど、歌の特質が残っている。ビバップにはメロディーが多く含まれている。」と井上は言う。
オールド・フォークスは原曲に忠実に、そして深い感情と共に演奏されている。この曲はチャーリー・パーカーが50年代初期に感銘的に「歌った」事で知られている。ここではこの偉大な古い曲を井上はアーニー・ローレンス・バンド等で共演していた、故ハーマン・フォスター氏に捧げている。
マレットのほろ苦いサウンドとアプローチによって偉大なスタンダード、アイ・シュッド・ケアがおもしろく仕上がっている。この歌はABAC形式で井上はAC部において、半音下がる転調のアレンジを施している。「性質を変えてみたかった。」と彼は言う。テンポが変わるにつれて曲の性質が変わるが、バラードの美しさは損なわれていない。“ヴァルス・ホット”がまた引用されるが、ここではそこからさらに発展させている。(彼は、絶対ソニー・ロリンズのことが頭にあったに違いない。)
カリプソ・エニィウェアはロリンズの“ザ・エブリウェア・カリプソ”が部分的に基になっている。彼はロイ・ヘインズがジャズ・モービルで後者の曲を演奏するのを聴き、「バンドのメンバーがアカペラで歌っていた。」と付け加えた。このカリプソ・エニィウェアでは、キャスト5人全員が勢ぞろいしてパーティを楽しんでいる様な感じで、グリフィスのスキャットは自由奔放であり、喜びにみなぎった精神が溢れ出ている。グリフィスはブルックリン出身だが、彼のルーツはトリニダッドにある。彼の叔母はそこで“カリプソ・ローズ”と呼ばれ、カリプソの女王として30年以上君臨している。
ジェローム・カーンの永遠の名曲イエスタディズでは、原曲に敬意をほどよく払いつつ、アレンジがされている。アフロ・キューバン的な感じとわずかに歪められたハーモニーに、井上らしさが表われている。
日本古謡さくらは、最初はニュースクールでの、ジム・ホールと井上のデュオ・コンサートの為に、井上がタンゴ風にアレンジした作品だ。マレットはこのソウルフルなさくらに効果的なパートナーである。
ルイス・ボンファの黒いオルフェの歌詞で、最もよく知られているのは“ア・デイ・イン・ザ・ライフ・オブ・ア・フール”のバージョンだが、グリフィスが歌うカーニバルの朝は全く違う歌詞である。愛への希望をグリフィスは強く心に訴える様に歌っている。「私はギターを弾きながら歌うでしょう。」という一行があるが、井上のギターがこの風景に色彩を加えている。この印象的なデュエットで、二人はお互いを完全に引き立て合っている。
バイ・バイ・ブラックバードで、井上はペダル・ポイントと再び転調を利用している。静かに始まった後、徐々にスイングして盛り上がっていく。井上はここで“カナディアン・ケイパーズ”と“パリジャン・サラフェア”というグローバルな引用をする。
そう、メロディーは国境を越えて旅をするのだ。ミュージシャンも国境を越えて旅をする。我々はそれを楽しむことにしよう。
Thanks Satoshi et al.
アイラ・ギトラー